科学研究費補助金(基盤研究S)「人間形成の基礎としての個性発達と共生の解明」

研究代表者:多賀 厳太郎
研究期間:2023年度~2027年度
キーワード:個性、共生、脳、発達、進化

研究の全体像
少子高齢化、環境問題、パンデミック等の課題が顕在化している。こうした状況で、人間がそれぞれ唯一無二の存在として個性を深化させつつ、世界と共生する原理を理解することは、個人の尊厳と人類生存の持続可能な社会のための基盤の構築に寄与すると考えられる。古今東西の学問は、人間における理性と経験の相克、自己と世界の存在のあり方、言語と思考の関係性等を追究してきた。しかし、それらの多くは、すでに主体を持ち、言語を操る人間の分析に依拠しており、人間形成過程の原理解明に至っていない。
近年、脳や身体や環境の動的変化を観察する技術が進展し、発達や進化のダイナミクスを多角的に捉えることが可能になりつつある。このアプローチは、子どもの側から人間を理解することにつながる。
本研究では、以下の問いに焦点を当てる。人類進化で獲得され胎内で発達する脳や身体の自発活動は、出生後の乳児の行為・知覚・記憶・自己・言語の形成にどのような基盤を与えるのか?日常生活での私的経験と睡眠を通じて、個性はいかに形成されるのか?乳児は、物理環境・生物環境・社会環境とどのような時空間スケールで相互作用し、環境との共生はいかに実現されるのか?

研究の目的
胎児・乳児期の人間の個性の獲得と環境との共生の機構を多角的かつ包括的に解明する。新生児の行動の多くは一旦消失した後に志向性を持つ行動となって再出現する。それに関連する脳内の劇的な変化の機構を解明する。睡眠と覚醒を頻繁に切り替えている乳児の脳と身体の動的状態の履歴全体を捉え、私的経験を通じて個性が形成される仕組みを解明する。腸内細菌叢が脳と免疫の発達に寄与する機構を調べ、個体の内と外の境界が動的に変化する共生や環境の新たな概念を追究する。調音運動や多様なリズムを有する音声知覚を統合する脳の長距離ネットワークの発達に焦点を当て、コミュニケーションを自発的に促す言語発達機構を解明する。化石人類や日本の古代人の頭蓋骨から脳の形態とネットワークの発達を推測し、言語や認知機能の発達と進化の関連性を捉える。脳や身体の発達と進化のダイナミクスを自然史や文化史と実践的に関連づけ、人文社会学・自然科学を包含する人間形成論を構築する。

初期発達のダイナミクス 
新生児において、脳は睡眠と覚醒状態に応じた自発的なリズム活動を生成し、身体は自発的な行動を生成する。複雑さと多様性を備えた脳や身体の自発性は、環境に対する能動的な行為や知覚の発達の基盤であると考えられる。ところが、新生児の行動の多くは一旦消失した後、志向性を持つ行動となって再出現する。この現象は、胎児期の脳を再構成して新たな能力を獲得するために、乳児への「変身(metamorphosis)」が脳内で起きていることを示唆する。脳と身体の多角的かつ包括的な観察により、変身の詳細を明らかにする。

個性 
乳児は、日常生活での経験を記憶することができる。日々新たな環境との相互作用を通じ、脳は環境へ適応するとともに、行為や知覚の履歴を蓄える。睡眠は、環境とオフラインの状態で脳内の情報生成と恒常性の維持を促し、記憶の形成と忘却に寄与している可能性がある。覚醒と睡眠が頻繁に切り替わる乳児において、脳と身体の動的状態の履歴全体を、新規な脳イメージング・行動計測手法で捉えることで、私的経験を通じて個性が形成される仕組みを明らかにする。

共生
乳児は、マクロな物理環境や社会環境だけでなく、細菌のようなミクロな生物環境と共生している。特に、腸内細菌叢は乳児の脳の発達や身体の健康に重要な役割を担うと考えられている。また、腸内細菌叢の多様性や変化には、乳児個人に特有の特徴があり、個性にも寄与している。腸内細菌叢が脳と免疫の発達に寄与する機構を明らかにし、個体の内と外の境界が動的に変化することを包含する新たな共生や環境の概念を検討する。

言語
思考及び社会的コミュニケーションを担う言語の獲得には、多層的なメカニズムが想定される。乳児の自発的な発声と自他の音声の知覚は、その基盤であると考えられる。調音器官の超複雑な運動、音声の多様なリズム構造の知覚に焦点を当て、脳と身体のリズム統合の機構を明らかにする。また、調音運動と音声知覚の統合に関わる脳の長距離ネットワークが胎児期から乳児期に形成される過程を明らかにする。

脳の進化と発達 
化石人類や日本の縄文人・弥生人等の頭蓋骨から脳の形態を推定することが可能である。さらに、脳の幾何形状から脳の長距離線維が発達するモデルを導入し、脳のネットワークを推定する。現代人との比較により、言語や認知機能の進化と発達の関係性を捉える。発達人類学の構築を試みる。

教育実践と博物館展示
人間形成に関する基礎的な知見は、あらゆる学問分野や社会に影響を及ぼすと期待される。国内外での論文や書籍の出版に加え、保育・教育の現場での体験授業を行う。さらに、人間の発達を自然史や文化史と関連づけた博物館展示を目指し、変化の原理をどのように表現すればよいか検討する。